聞き書きですが読んで下されば嬉しいです。(聞き書き田島昭泉)
フクシマを忘れない。
■武藤類子さん
福島では二度大雪が積もりました。放射線が雪で遮られて線量が下がってきました。しかし、春が来て雪解けとともに、線量が戻ってきつつあります。そして、事故以前楽しみだった山菜が今年は口にできるのでしょうか。原発事故から3年経った今は形を変えて被害が大きくなっています。漏洩していた放射能汚染水の放射能濃度は大きく間違えて報告されていました。未だに大きな放射線を放出している事故原発では、一日三千人の作業員が過酷な被曝労働をしています。四号機の使用済み燃料の取り出し作業区域では90マイクロシーベルトが計測されています。
帰還政策が盛んになされていますが、果たしてこの家に帰れるのでしょうか。
被害が無視され必要な救済がされていません。
川内村では元は青々と緑の田んぼでした。今は廃棄物の袋が累累と積まれたままです。(袋の耐用年数は3年)
田村市都路地区は最初に避難指示が解除されます。4月には学校も元に戻ります。避難先からバスで40分かけてかよう子も居ます。
今年の(2014年)2月段階で震災時18歳以下での甲状腺(悪性)癌もしくはその疑いは75人になりました。(悪性確定は32名)
三春町には環境創造センターがつくられ、子供達が集められ放射能に関する教育がなされます。IAEA、JAEA国立環境研究所が常駐します。
そして私達の告訴、告発はことごとく敗訴です。現在はここ東京の検察審査会に申し立てして居ます(2013/10/16、3名で申し立て。11/22には5737名が二次申し立て)。甚大な被害を前に、誰の責任も問われないことは理不尽です。沢山の被害者がいるのに加害者がいないのはおかしな事です。事故を終わりにしてしまってはいけません。真実を明らかにし、この様な事故を二度と起こさないように、私達は被害を語り続けなくてはなりません。それが被害を受けた者の責任だと思うからです。
今日は10人の証言がありますが、私は被害者だと意識し続けることは大変なことです。でも私達はリスクを受け入れ黙ってその道を行くことはできません。何度も何度も理不尽な被害に遭ったと思い起こします。目をそらさずに向き合ってゆきます。
---以下10人の証言(3名抜粋)---
◆郡山の(中通り地方)農家中村さん
有機農業で米を作っていた。野菜なども産地直送でやっていたが、事故後全く売れなくなった。辛い思いで頑張ってきたが事故3年後の今でも半分も売れない。活路を見いださないと、どうしようもないので首都圏に積んで売りにも来た。どこから来ましたと聞かれ福島ですと言うと品物は取ってみるが買ってくれない。息子とはどこかに就職しなければならないぞと相談しました。それほど私らは追い詰められているんです。東電の何万人の社員、国会議員だって、霞ヶ関の方も、福島の農産物ぜーんぶ、くってもらいたい思いだぁ!
◆鏡石町の本田さん
私は札幌に自主避難しました。娘の体に異変が起きたので避難しました。当時中学生の娘に今まで見たこともないような飛び火が出た。医師にはこれは飛び火では無いと言われ、あとになってチェルノブイリと同じ症状だと言うことが解り愕然としました。学校には地産地消はやめるよう校長に言ったが国が安全だと言っているので、問題ないから大丈夫だからと説明されました。この様な環境に子どもをおいておけないと6月には夫と娘が先に、私は経営していた美容室を閉め7月に札幌へと移りました。15年間で作り上げた美容室とお客さん。その店も自宅も閉め両親、親友とも別れふるさとを出るのは苦しかった。別れを考えたら避難はできない。何も考えず娘の将来だけを考えて避難しました。夫はやっと月10万の仕事を見つけた。上の子の専門学校はやめてもらった。自主避難は補償が出ません。全ての財産を削って手放して行く生活です。こんな思いを何故しなければいけないのか。今では、原発の話は聞きたくないとか言われ、もう終わったとも言われる。友達でも4人も離婚しています。私はもう泣かないと決めました。我が子を守るためだと笑っていくしかない。国や東電を許せません。
http://www.youtube.com/watch?v=9eBRirVx3hw
◆大熊町から会津に避難されている木幡さん
被爆者手帳を作って欲しいと言ってるんですが、なかなか作ってくれない。県民健康手帳を配ったでしょと言われる。配っただけで何も説明してない。3.11にどこに居て、何をしていたか証明できなかったら子どもにも孫にも申し訳できないという女性増えました。福島医大では大丈夫だと言われ、はじめはやらないという人も居たが甲状腺検査をしてくれた。すぐに逃げたから被曝してんないと言われていたが実際には被曝している子どもが沢山いました。
今年あるお母さんがとんでもない衝撃的なことを話してくれました。原発に2Kmと近い大熊町のオトザワと言うところの子どもさんが骨肉腫で足を切断しなければならないという話でした。私が思うに、それはすぐ癌になったのではなく、原発周辺の方々は事故の前から放射能汚染で遺伝子がやられていたのではないかと思う。だんだん解ってきたお母さん達が言い出す様になった。今まで口にできなかったんです。
私は結婚前に臨床検査センターというところでアルバイトをしていました。原発作業員さんの血液検査をするところだったんです。いつもマル秘という判子が押されていました。ある日とんでもない数値が一杯書かれていました。これなんだと思って「どこに送るんですか?」と聞いたら「東電」だと言われました。思い出し、あのときのことが今再現されているんだと感じました。
朝まで生テレビに今朝出て居たんですが田原さんがα線のことばかり言うが、本当はβ線が恐いんだよなと.私もそう思いますと言いました。ストロンチウムとかプルトニウムとか、直ちに国を挙げて検査して欲しい。田原さんもこれはやろうぜとおっしゃってくれました。木元さんもやらなきゃねとおっしゃってくれました。
https://www.youtube.com/watch?v=eRy_Hp9i8yg