2013/5/25~26 原発とめよう秩父人企画
ツアー中の放射線量ベスト3 単位μSv/h | |||
1位 | 2位 | 3位 | |
バス車内 | 3.672 浪江町希望の牧場 |
1.601 飯舘村 |
0.999 伊達市霊山 |
外地上1mはおおむねバス車内の2~3倍はありました。 | |||
外地表 | 14.56(ホットスポット) 南相馬馬事公苑 |
13.99(ホットスポット) 南相馬小高 |
5.668 浪江町希望の牧場 |
福島の土壌等の放射能濃度(ベクレル測定)はこちら 土壌40万ベクレル! 桧の葉3700ベクレル! バス車上空間測定はこちら→■ 小鹿野町女衆の会の報告はこちら→● |
5/25
福島原発20km圏内ツアーが始まった。
まずは秩父人メンバーのSさん差し入れの朝おにぎりとサンドイッチで元気付け!有難う。関越道にて。バス中 長瀞 0.04マイクロシーベルト。
秩父人メンバーで南相馬ご出身のWさんが道中を案内して下さった。許可申請等や計画なども綿密にして下さった。有り難う。
21名参加
川俣地区で出会った運動会の風景。ここからすぐ飯舘村に入る道。子供も父兄もマスクする姿は無い。
川俣道の駅では地表で2.8μSv/h(後日測定6万ベクレル)の所もあったほどなのに。
除染はされているのでしょうが、どの程度の除染なのでしょうか。バスのなか一同は目を疑った光景でした。
飯舘村 居住制限区域 通過しながら
車内1.601マイクロシーベルト 警報音がなりっぱなしでした。
荒れた田畑の風景でした。山の緑はとても綺麗。作物は作ってはいけないと言うことで、田んぼも既に2年放置。
そのほかの測定結果→●土壌等の放射能濃度(ベクレル測定)
南相馬小高区羽倉(居住制限区域)の住宅では雨樋の下で30μSv/hだったそうです。この日雨樋排水溝で13.99μSv/hでした。(後日測定約40万ベクレル)
家の真下に断層が走り床も歪んでいました。道路や畑にも筋が見えました。
庭の地上1mのところで1.811μ㏜/h。
測定器TERRAは警報音が鳴りっぱなしです。バスの中ですら0.5~0.6μ㏜/h。
南相馬市小高区のモニタリングポストでは0.752 ホリバでは1.117
双葉郡浪江町立野 居住制限区域 希望の牧場(吉田牧場)
バスの中で測定しても3.672μ!これは車上での数値で最高の数値だった。
地表で5.668μ。
ここに居る牛たちは死ぬまで自由だ。しかし、空間線量だけでも3~5μある。
農家20軒の心ある人の考えで殺処分をのがれ生きながらえている牛達。
311当時で牛だけでも3500頭、豚は3万頭いたが、あわれ過半数が餓死。その後殺処分が実施された。
今は1000頭が飼育されている。
バスの外に出るときは足下にはビニール袋を三重にして付けて、乗るときに廃棄。
ヤマトシジミ4検体採集。
南相馬市小高区 まるでゴーストタウンと言ってしまうほどひっそりしている。
いち早く営業を始めたK床屋さんが「一日に来ても1人のお客さんですが、復興を引っ張りたい」とお話をして下さいました。
Kさんは宿泊許可の出ないこの地域で避難場所から通ってきている。
南相馬小高区支所前 「核兵器廃絶平和宣言」の文字が悲しい。右手にはボランティアセンター 手前は簡易水道(手洗いのみ)
モニタリングポスト 0.130μ ホリバ 0.199μ
小高の駅も線路も草で覆われていた。
浪江町 請戸の浜への道。避難地域解除準備地
311より2年以上経過した今月より許可制で入ることができた地区。
先には福島第一原発。観光バスで入った一般グループとしては私達が初めて。原発から7km程度。
草木だけは動いている。しかし、ここは地震や津波の後のままだ。崩れた塀、流された船や自動車などがそのままだ。
息の有った方もいたろうに、原発事故による避難命令で置き去りにされた地区だ。
町内は311のまま。至る所で塀が崩れたままであった。
原発の排気塔とクレーンが見える。約7km先。
私達はこの請戸の浜に来た。311以後閉ざされた所です。
この目で見て感じたことは、語り部となって伝えなくてはいけない。ツアーでは時に驚愕し、時に悩み、時に涙した。知ることのつらさを受け入れた方々の覚悟と共に希望をつなぎたい!
避難指示解除準備区域とはいえ311のままだ
国道6号線の道の駅南相馬(原町区高見町)に立ち寄り買い物→相馬市→115号線で伊達市へ
伊達市の霊山地区中村街道 山間部の道路際では沢山の除染袋が見かけられました。
この辺の家には毎戸にあった。生活の中に動かせない放射能。
お宿は穴原温泉 外を散歩すると0.53マイクロシーベルトの所も・・・
6階の室内では0.083μ。旅館の食材は新潟や山形から用意しているそうです。
せっかく地元の山菜や魚などをと思っても出せない現状を思うと、ホテルの皆さんも、辛いことでしょう。この悲しい現実は原発から出た放射能があるからです。
5/26 いわき市薄磯地区
報道も少なく忘れられたような地区です。
180軒のうち170軒が流されたとか。
ご遺族の方々でしょうか集団でお祈りをしている風景に出会いました。
塩屋崎灯台
多くの方が津波でなくなった地
イスラエルの映画監督ミハルさん。いい映画ができるといいですね。
原子力発電事故による放射能と人の暮らしがテーマになるのでしょうか・・・。
ここの右手の陸地1mでは0.5マイクロシーベルト
小名浜の「アクアマリンふくしま」では震災当時のお話を聞きました。
津波も7m近く来て被害も大きかったが、液状化も激しかったと。
小名浜を最後に秩父への帰路に・・・。
決して忘れてはいけない風景。フクシマ。
故郷を失った人たちの辛苦を伝えないといけない。
住んでもイイというその放射能環境を慎重に読み取らなければいけない。
「絶対に安全です」と言う言葉はあってもその現実は無い。
二度と起こしてはいけない原発事故ならば、直ちに原発はこの世から消し去るべきだ。