第6回福島第一原発20キロ圏内ツアーに参加して / 吉田千亜(ジャーナリスト)

2024年5月11、12日、「原発とめよう秩父人」の福島第一原発20キロ圏内ツアーに参加した。
浪江町の今野寿美雄さんがコーディネーターとしてバスに同乗し、加須市に避難中の鵜沼久江さん(双葉町)も参加。鳥取・熊本からも駆けつけ、32人にもなった。

まず向かったのは「おれたちの伝承館」。館長の中筋純さんが迎えてくれた。偶然、浪江町から静岡県に避難をしている堀川文夫さん・貴子さん夫妻も訪れていて、その場でお話をしてくださった。中央に設置されている彫刻家の安藤栄作さん(奈良へ避難)の作品「鳳凰」の横に、「海の風」「山の風」がある。その作品は、解体された堀川さん宅の庭で伐採された大きな楓の木でつくられた。堀川さんは、家が解体される時の苦しさより、楓が伐採され庭が更地になったときの寂しさのほうが強かったと話し、「こうして作品にして残してくれて嬉しかった」と作品を紹介してくれた。

おれたちの伝承館
おれたちの伝承館

その後、海に近い浪江町棚塩地区にある展望用の丘から福島イノベーションコースト構想エリアを視察した。福島水素エネルギー研究フィールド、福島高度集成材製造センター、そして施工中の再生可能エネルギー由来のグリーンアンモニア製造技術の実証プラントなどがある。それらの空間を埋めるように敷き詰められた太陽光パネルの一角に、小さな隙間があった。今野さんによると「地権者が反対して売らなかった土地」だという。

棚塩地区に広がる「福島イノベーションコースト構想」

また、浪江滑走路もこの棚塩地区に設置されている。北に13キロのところにある、福島ロボットテストフィールド(南相馬市)と連携した形での無人航空機離発着用滑走路だ。「無人機」と言えば、いま、戦争で殺人兵器として使われている。日本では、宅配便の配送などを目的としているが、例えばウクライナでは荷物の代わりに円筒形の爆弾が運ばれている。デュアルユース技術が、なぜ「復興」の現場で研究開発されるのかと言えば、「災害用」あるいは「過疎地のための技術」という大義名分が作りやすいこともある。

次に向かったのは、震災遺構・請戸小学校。甚大な被害を受けたものの、全員が無事避難することができた奇跡の学校として知られている。校舎には請戸地区の歴史や文化も展示され、見応えがある。 しかし、それよりも気になったのは、請戸小学校敷地内に作られていた自律型ドローンの格納庫だった。今野さんは「上部が開いて、ドローンが飛び立つ。災害対策として浪江町と提携している」と苦笑。「ザ・ガーディアン」という名で浪江町と會澤高圧コンクリートが連携し、実用化開発を行なっている自律型ドローンは、衛星データを用いた河川氾濫予兆検知を中核とした防災支援システムだ。その飛び立つ動画も「災害用」として公開されている。

ドローン格納庫と震災遺構請戸小学校校舎
ドローン格納庫と震災遺構請戸小学校校舎

また、これは令和3年・4年度地域復興実用化開発等促進事業費補助金に採択された開発でもある。浜通りで実施される重点分野(廃炉、ロボット・ドローン、エネルギー・環境・リサイクル、農林水産業、医療関連、航空宇宙)が対象の補助金だ。「ザ・ガーディアン」は、航空宇宙分野で採択されている。補助率は中小企業に3分の2、大企業には2分の1で、それぞれ上限額が7億円。ちなみに前述の重点分野は、経済安全保障推進法(いわゆる軍事研究に関する法律)における「特定重要技術」と重なる。

その日の宿は大熊町役場の隣にある「ほっと大熊」。繁忙期を除き、1泊4千円(町民は3千円)ほどで宿泊できる。温浴施設にサウナもあり、無料マッサージ機に、ドリンクも飲み放題だが、その管理費が気になった。大熊町令和6年度予算は、337億3千万円と過去最大。ほっと大熊を含む大熊町交流ゾーン管理費として約3億円が計上されている。5年ほど前、大熊町の役場職員が「使いきれない」「(使い方が限定されていて)使いようがない」と話していたことを思い出す。改めて「復興」予算は、誰のためにあるのか、その使い方は次世代のためになるのか、どうしても考えてしまう。

翌日は、楢葉町にある「伝言館」へと向かった。丹治杉江さんは、避難していた群馬県からいわき市へと戻り、前住職の故早川篤雄さんの遺志を受け継いで案内役を務めている。この日は丹治さんと共に、安斎育郎立命館大学名誉教授も出迎えてくれた。

伝言館 安斎館長

安斎さんは、福島原発事故についてスライドを用いて説明した。早川さんのように原発誘致の時代から反対する人々がいたにもかかわらず、住民が懐柔されていった歴史、差止訴訟の判決の理不尽さ、予測できた非常用発電機の浸水、原発事故の水素爆発の構造などを丁寧に解説してくれた。合間には「ふざけるな!」という強い言葉のスライドを挟み、聴講者の笑いを誘いながら原発事故を風化させてはならないと話した。

丹治さんは現在、「ALPS処理汚染水差止訴訟」の事務局長も務めている。原告側は、科学論争ではなく、「流さない方法があった」「倫理の問題だ」として闘う方針だ。原告は363人まで増えたそうだ。

裁判の第1回の期日では、本来なら被告・国は答弁する必要はないにも関わらず、「海洋放出するのは『処理水』であり、危険ではない。わざわざ『汚染水』というのはでっちあげ。却下してほしい」と訴えたという。丹治さんはその訴えに呆れたというが、「もうこの際『歩く風評加害者』として頑張らねば」と笑顔も見せていた。

いま、「汚染水」「汚染土」あるいは放射能汚染による健康影響への不安を語れば、丹治さんのいうように、すぐに「加害者」扱いされてしまう。SNSの世界では「ネットリンチ」のようなことも起きてしまっている。

伝言館で丹治さんの説明を受ける

しかし、この14年の間にも、科学の進捗とともに放射線による健康影響については新たな知見が得られている。それは、甲状腺がん裁判でも原告側が丁寧に主張している。人間に対して傲慢さが問いただされているのではないか、ということを、原発事故においても痛切に感じる。

今回、ツアーに参加して改めて思ったのは、「同じ思いで社会を眺める人々と過ごす時間に救われる」ということだった。見ているものは過酷な現実だが、孤独ではない。原発も軍拡も多くの人で監視せねばならないが、それは長い時間になるだろう。タネを撒きつつ、ゆるやかにつながり、少しでもマシな社会を次世代に渡せるように、見続け、考え続け、伝え続けたい。

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原発とめよう秩父人

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