- 2025-1-14
- ツアー報告, 福島ツアー
- 伝言館, 福島ツアー2024, 福島第一原発20キロ圏内ツアー

昼食を南相馬駅前の双葉屋旅館で済ませた後、「鈴木安蔵生家」を訪れた。「顕彰碑」が建ち憲法作成者の家は落ち着いた佇まいを見せていた。ホッとして次の訪問先、「おれたちの伝承館」に行く。更に浪江町に行って驚いた。以前来た際には田んぼに船や車が逆さになっており、請戸の町や港は家屋の土台と瓦礫だけで、原爆投下後の荒廃した広島を見るようだった。
それが今回まるで様相が変わっていた。荒廃した浪江駅も通常運営しており、駅前はきれいに整地された広大な敷地がレイオフ用に土地が確保されていた。請戸港近辺には瓦礫一つなく芝生も植えられ、「イノベーションコースト構想」の水素プラントや集成材施設の白いコンクリート建物が数棟建てられていた。そこには日揮や川崎重工他、名だたる軍需産業の企業が入っていた。やはり人の姿が皆無であるのは被爆直後と全く同じ。工事足場のようなドローンの中継点もあったりした。時々見られた稲田の米はアイリスオーヤマが買い占めているという。膨大な税金を投下して「復興」と言うが、そこは大企業や軍需産業に占有され、被災者である福島県民は不在である。誰の為の「復興」か、白々しくも不穏な姿がそこにはあった。
放射能被害にあった人々、病気・死・家族や近所つきあいの喪失・農作物汚染・家屋や森林や川の汚染・避難、それら全てに伴う人間の絆の断絶等々を強いられた人々には目が向けられていない。眼を向けていたのは「おれたちの伝承館」に展示された作品群、それに「伝言館」だった。伝言館には直裁に3.11以前からの反原発を叫んできた人々の思いと歴史があった。安斉館長からパワポ説明を受け、福島の人々の悔しい思いがよく理解できた。70年代から原発反対の闘いを通じて先生と福島の人々や早川住職との交流・友情があった。「原発悔恨・伝言の碑」がそれらを示していた。事務局長の丹治杉枝さんには川越で2度も講演をしてもらった。久しぶりにお会いしたが、あの迫力が健在だったことが嬉しかった。



