- 2025-1-14
- ツアー報告, 福島ツアー
- 伝言館, 福島ツアー2024, 福島第一原発20キロ圏内ツアー

5月12日 『ほっと大熊』での快適な一夜を過ごし翌朝私たちは今回のツアーの最後の見学地『法鏡寺・伝言館』へ向かいました。
今回のツアーについて何の事前学習もせずに臨んだ私はまずはその立地に驚きました。もっと交通の便の良い(多くの人が通りかかる)場所、平坦でそれなりの敷地を持つ施設・・・漠然と勝手な想像をしていましたがそれは全くの的外れでした。大熊、富岡等駅の近くの『町』からも離れた『山』の急な斜面を登った所にそれはありました。その急な石段を登り、やっとたどり着いた境内地は私には驚きの連続でした。
南相馬市小高区を中心に何回も浜通り地方に足を運んでいた私ですが、楢葉町の山沿いは初めて訪れる見慣れない風景ばかり、そして法鏡寺さんの名前も早川篤雄前住職のご尊名も私は知りませんでした。もちろん『伝言館』の存在も。唯一見たことがあったものは、以前上野にあった『広島・長崎の火』、それが今は『非核の火』としてここ法鏡寺の境内地に灯されていました。
コロナ禍騒動の中で上野から福島に『火』が移され灯され続けていたことも私は全く知らなかったのです。
そして『非核の火』と並んで立つ『原発悔恨・伝言の碑』 衝撃でした。『知らなかった』自分の無知と無責任さを痛感させられた碑文でした。2011年の原発災害までの漠然とした無関心だった自分の非をこの碑文はハッキリと自覚させられました。


私を含めて圧倒的多数の日本国民の『原発の危険性について事前には知り得なかった(だから責任は回避してくれ!)』という言い訳は通用しないのだ。
あの原発災害の6年前にチリ地震津波の教訓から災害を予見し東京電力に危険を指摘していた方がいらっしゃったことも知らずにいたのです。
知らなかった=仕方ないという責任回避は許されないということをこの碑文は私に突きつけてきました。伝言館の館内に展示されたたくさんの資料は私がいかに不勉強であったかを反省させるものでした。
今回のツアーに参加した動機の一つとして、被災地をもっとよく知りたいという思いがありました。東日本大震災以来東北3県を『復興支援』というキーワードで関わり続けてきた私にとって福島は岩手や宮城と比較した時に『まだまだ知らなすぎる場所』でした、ふだん自分の辿るコースではない新しい視点での被災地視察は目論見どおり(私にとって)成果の多いツアーでした。と同時に言いふるされてきた言葉ではありますが『復興』とは何か?というテーマについて改めて考えさせられたツアーでもありました。20キロ圏内に広がる田んぼから収穫された米の行方、有名企業が一手にそれを買い取ってくれることが風評被害に悩む農民にとって『救い』なのかどうか、それとも国家による被害の隠蔽なのか? 岩手・宮城でもあることですが新しい町づくりが本当に『復興』に繋がるのかどうか、一方では今この瞬間をこの地で生きていこうとする被災者にとっては有用な変化ではないのか?
簡単に答えを求めることはやめようと思います。いろいろな角度から今のフクシマの姿を見続ける、発信し続ける、考え続けるようにしていこうと思います。『知らなかった』という言い訳に逃げることのない市民でいるために。
