汚染された故郷に生きる大熊未来塾代表 木村紀夫

東日本大震災で事故を起こした原発が立地する大熊町。その海沿いで生活していた木村家は、津波で家と家族3人を失った。更にその事故によって、原発の南3キロほどの家周辺で行方不明となった3人を残して避難せざるを得ない状況が生まれる。父と妻の遺体はその4月に発見されるが、次女汐凪(ゆうな)の遺骨の一部が発見されるまで5年9か月を要した。発見された状況を考えれば、それは明らかに原発事故の影響。事故が無ければ生きていた可能性さえ否定できない。原発事故は、助かった命を犠牲にするものだ。

しかし私は、電力会社を悪者にしても解決できない問題だと考える。原発が無くなっても、何かを犠牲する他の何かに置き換わるだけ。将来のゴミの処分が確立されていない中で休耕田や山を削って並べられていくソーラーパネルも、構図は使用済み核燃料と同じに見える。それを後押ししているのは国民の無関心だ。その一人一人が変らないかぎり、この問題は解決できないと感じる。

放射能汚染によって人が生活できなくなった帰還困難区域では、一時期イノシシが大量に増えた。立ち入り制限のある自宅跡にボランティアが植えた200個のチューリップの球根をイノシシによって全て食べられたことがあった。慌てて庭の周囲にソーラー発電式の電気柵を張ったが、考えてみればここが私の土地だなんて考えは、人間の勝手な思い込み。土地の所有なんてことを考えない生物にとって、そんなことは無意味。その生物たちは、人間によって汚染された土地で活き活きと営みを続けている。この状況を人はどう考えればいいのだろう?

人もこの汚染を引き受けて生きるべきなのではないか。許されるなら私は、今すぐにでも汚染され
た自宅跡に小屋を作って周囲にあるものを利用し、食べ物も自給しながら謙虚に生きたいと願う。
けれど、生き残った長女にそれを勧められない現実にモヤモヤするのだが・・・。

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